「これ、いつ買ったんだっけ?」
買った教材を整理しようと思って、過去の購入履歴を眺めていました。
すると、まあ出てくる。
ちゃんと読んだもの。
途中まで進めたもの。
買ったまま、手をつけていないもの。
そういうものを見ると、
「また買ったのに、ちゃんと消化できてないな……」
と、ちょっと反省したくなります。
でも、履歴を眺めているうちに思ったんです。
教材の棚卸しって、
積読を反省するためだけにやるものじゃないな、と。
むしろ面白いのは、教材そのものじゃありません。
そこに残っていたのは、
その教材を買ったときの「過去の自分」でした。
購入履歴には、そのときの自分が残っている
いつ買ったのか。
何を買ったのか。
いくらだったのか。
そして、
なぜ、その教材が欲しかったのか。
ここまで振り返ると、
購入履歴の見え方が少し変わります。
その教材を買ったとき、
僕は何かに困っていたはずです。
もっと文章がうまくなりたかった。
SNS発信をなんとかしたかった。
AIを使えるようになりたかった。
副業を、もう一歩前に進めたかった。
つまり教材の購入履歴には、
「そのとき、自分は何を欲していたのか」
が残っている。
そう考えると、
ただの購入リストじゃないんですよね。
「あのころは、こんなことに悩んでたな」
「この時期、これをどうにかしたかったんだな」
そんな過去の自分が、
教材のタイトルと一緒に並んでいる。
ちょっとしたアルバムみたい。
写真はないけど、
そのときの悩みや欲求が写っている。
同じような教材を、何度も買っていないか
さらに履歴を眺めていると、
もうひとつ気になることがあります。
似たテーマの教材を、
何度も買っていないか。
文章術。
SNS運用。
AI。
集客。
もし同じ分野の教材が何冊も並んでいたら、
「自分はこの分野への関心が強い」
だけでは終わらないかもしれません。
ひょっとすると、
同じ悩みに対して、
「次の知識を手に入れる」
ことで解決しようとし続けていた可能性もある。
でも本当に足りなかったのは、
知識だったのか。
それとも、
実践すること。
続けること。
自分なりに使える形まで落とし込むこと。
だったのか。
ここまで考えると、
教材の棚卸しが急に自分事になってきます。
教材を見ているはずなのに、
見ているのは自分の行動パターンなんですよね。
「買った」より、そのあとを見る
だから次に見たいのは、
教材を買ったあとの自分です。
買った。
読んだ。
実践した。
途中で止まった。
実際の活動に取り入れた。
同じ「購入済み」でも、
その後はぜんぜん違う。
僕が特に気になるのは、
途中で止まっている教材です。
なぜ止まったのか。
必要性がなくなったのか。
難しかったのか。
欲しかった情報だけ得られて、
そこで満足したのか。
それとも、
「読む」まではできたけど、
「やる」のところで止まったのか。
ここも、
単純に「完走できなかった」で終わらせるのは、
少しもったいない気がします。
最後まで読まなくても、
得たものを実際に使えている教材はある。
逆に、
最後まで読んだとしても、
何も行動に移していないものもある。
だとすると、
「最後までやったか」
だけを物差しにする必要はない。
それよりも、
何を持ち帰ったのか。
何を実践したのか。
そして、
どこで止まったのか。
そこまで見るほうが、
次の学び方につながりそうです。
教材を見ていたら、そこに自分がいた
こうして振り返ってみると、
教材の棚卸しはモノの整理というより、
「過去の自分の意思決定」をめくっていく作業でした。
何を欲していたのか。
何に悩んでいたのか。
何を買ったのか。
そのあと何をやったのか。
どこで止まったのか。
そして、何が残ったのか。
購入履歴は、
それを全部覚えています。
だから次に教材を買いたくなったときは、
新しい商品のページを開く前に、
一度、過去の購入履歴を開いてみようと思います。
見るのは教材だけじゃない。
そこにいる、
少し前の自分です。
教材棚卸しメモ
もし一緒にやってみるなら、
まずはこの5つだけでも。
① 何を買ったか
② なぜ買ったか
③ 実践したか
④ どこで止まったか
⑤ いま振り返ると、本当に必要だったものは何か
たぶん途中から、
教材を整理しているのか、
自分を整理しているのか、
分からなくなってきます。
でも、それでいいのかもしれません。
もし購入履歴を見返して、
「自分、これ系の教材を何度も買ってるな……」
と気づいたものがあったら、
ぜひ返信で教えてください。
僕も、もう少しこの「過去の自分のアルバム」をめくってみます。






